2015年03月31日
精神的に
担当様が怪我をされた。見た目で分かりにくいし、認知症のあるご本人に自覚症状はない。しかし重傷である。ショートステイ中の出来事で、スタッフも気づいてすぐ行動を起こしてくれていたが、ご家族にしてみれば
「何故、今まで気づかなかった。」
となる。当然のお気持ちであり、compass college 認受性お詫びする以外にない。
怪我をすることや事故は気をつけていても起こることがある。それを仕方ないと言ってしまってはいけないが、避けられない場合も確かにある。けれど、事故そのものよりも「いつ」「なぜ」が分からないのは困る。
今日は他からもあった。今まで長く利用されてて、クレームなど一度もなかったご家族だ。私の稚拙なケアプランにも、ほとんど何も言われなかった。香港酒店管理學院ヘルパーの家事援助に対してのクレームであった。もしかしたら、今まで少しずつ我慢なさっていたのかもしれない。やわらかい口調に辛らつな言葉が紛れ込んでいた。
どちらも、誠心誠意お詫びして今後気をつけるしかないのだが、こういう時、会社の存在が益々自分を追い詰める。
「大口(資金の多い)の入所者が死んで惜しい。」
「月の途中で解約されて、払い戻すのが惜しい。」
「(私達の働きが少なく)人件費が多くて赤字だ。」
「入院の長い人や、集金がなかなか出来ない入所者は出て行ってもらう。」
etc,etc,etc/
直接耳にしていないのがせめてもである。compass college 好唔好人づてに聞いても吐き気がした。ボランティアではないのだから、資金は当然必要である。しかし、あのすてきなお年寄りたちを「金」としか見えないのかと思うと、何故こんな奴の下で働いているのかと思う。
私腹を肥やしているのは明らかで、彼らが辞めればいいのだ。彼らが無駄をなくせばお年よりはもっと住みやすいのだ。親の介護で休みを取る職員が、嫌味を言われず働きやすいのだ。
天誅???。まだ天誅は与えられないのか。
「何故、今まで気づかなかった。」
となる。当然のお気持ちであり、compass college 認受性お詫びする以外にない。
怪我をすることや事故は気をつけていても起こることがある。それを仕方ないと言ってしまってはいけないが、避けられない場合も確かにある。けれど、事故そのものよりも「いつ」「なぜ」が分からないのは困る。
今日は他からもあった。今まで長く利用されてて、クレームなど一度もなかったご家族だ。私の稚拙なケアプランにも、ほとんど何も言われなかった。香港酒店管理學院ヘルパーの家事援助に対してのクレームであった。もしかしたら、今まで少しずつ我慢なさっていたのかもしれない。やわらかい口調に辛らつな言葉が紛れ込んでいた。
どちらも、誠心誠意お詫びして今後気をつけるしかないのだが、こういう時、会社の存在が益々自分を追い詰める。
「大口(資金の多い)の入所者が死んで惜しい。」
「月の途中で解約されて、払い戻すのが惜しい。」
「(私達の働きが少なく)人件費が多くて赤字だ。」
「入院の長い人や、集金がなかなか出来ない入所者は出て行ってもらう。」
etc,etc,etc/

直接耳にしていないのがせめてもである。compass college 好唔好人づてに聞いても吐き気がした。ボランティアではないのだから、資金は当然必要である。しかし、あのすてきなお年寄りたちを「金」としか見えないのかと思うと、何故こんな奴の下で働いているのかと思う。
私腹を肥やしているのは明らかで、彼らが辞めればいいのだ。彼らが無駄をなくせばお年よりはもっと住みやすいのだ。親の介護で休みを取る職員が、嫌味を言われず働きやすいのだ。
天誅???。まだ天誅は与えられないのか。
Posted by キも at
16:12
│Comments(0)
2015年03月30日
家事労働に切り替え
仕事に疲れ果て、仕事のない世界(家庭)に逃げ込む人もいる。
家庭に入るのはいいが、仕事がなくなると同時にお金も入らない、となると、
家庭は理想的な逃避先になり得るのか?
それまで稼ぐために使っていた労力を、家事労働に切り替え、夫から労働賃金をいただく。
満足感たっぷりに暮らすには、家庭内労賃もたっぷり必要だ。
そうすると、労賃をたっぷり貰えるだけの、金額に見合った質の高い家事労働も必要だ。
希望通りに行かない低賃金になる可能性も、大いにあり得る。
相手によっては、共稼ぎでなければCalifornia Fitness 教練、やっていけない場合もある。
「行ってらっしゃい」から「お帰りなさい」までのオンタイム。
「お帰りなさい」から「行ってらっしゃい」までの、家庭で一緒に過ごす時間。
高賃金に見合うだけの働きをしている奥サマは、どれぐらいいるのだろうか?
夫が汗水流して働いている間、奥サマ方は、高級レストランでランチ。
その一方で、低賃金でも、主婦の鑑のような妻もいる。
高い収入のある人は、ほとんどが、その収入に見合った能力があるからだろうが、
「たいしたこともないのに、高収入」ということも中にはある。
奥サマも、そう。
ステイタスに相応しくなるように、California Fitness 教練自らを律して、高める、自助努力が必要だ。
奥サマ、お嬢サマは、世の中の荒波に揉まれず、美しいまま時を重ねる。
それを真の美しさだと自負している方もおられる。
それはそれで結構なことなのだが、一歩間違えば、大きな勘違いになる。
ハナシが元に戻るが、
仕事の苦しさから逃げ出して飛び込んだ家庭も、California Fitness 教練お金のあるなしで、天国と地獄。
こんなことでは、仕事のほうがまだマシ、と、また仕事に復帰することもあるだろう。
またまた額に汗して、あくせく労働の毎日。
ああ、やっぱり仕事を辞めたい。でも、お金が必要。辞められない。
そして、苦しみ、もがいて、仕事を続け、気付く。
仕事をしているのは、なにもお金のためだけではないのだと。
その時にはじめて、奥サマや、お嬢サマには味わえない爽快感、達成感を味わう。
登山家は、山があるから登るんだそうだが、
登る苦しみを乗り越え、達する喜びがあるから、困難に挑戦し続ける。
奥サマや、お嬢サマは、仕事をしている人を気の毒に、と思っているかも知れないが
仕事をしている人は、逆に、
奥サマや、お嬢サマのことを、可哀想に???と思っているかも知れない。
あるいは、そんな達成感など微塵もなく、職場環境も最悪、いいことが一つもない、
ダイっ嫌いな仕事をし続けないといけない人生が、ほとほと嫌になる場合だってある。
その時は、奥サマ、いえ、お姫サマになりたいと願う。
そうやって駆け込んだ家庭が、また、思い通りには行かず、ああ、仕事の方がマシ???
堂々巡り。
駆け込めるところがある人は、いい。
家庭や仕事、両方でなくても、そのどちらかがある人は、幸せだ。
過酷な労働条件、低賃金で働く人、今日のことで精一杯の人、仕事激減、ハードな時代。
この深刻な不況で、定時制高校の志願者が一気に増えたらしい。
親に泣きつかれて、定時制高校に志望を変えた子供の気持ち、親の気持ち。。。
進学は、将来の仕事にも、大きく関わっている大事なことだ。
そんなにやたら大きな夢や、たくさんのお金がなくても、
ささやかな日常でも、平和に暮らせる基礎があれば、それでいい。
心身ともに健康であること。前向きであること。
その土台の上に、いろいろな花が咲く。
家庭に入るのはいいが、仕事がなくなると同時にお金も入らない、となると、
家庭は理想的な逃避先になり得るのか?
それまで稼ぐために使っていた労力を、家事労働に切り替え、夫から労働賃金をいただく。
満足感たっぷりに暮らすには、家庭内労賃もたっぷり必要だ。
そうすると、労賃をたっぷり貰えるだけの、金額に見合った質の高い家事労働も必要だ。
希望通りに行かない低賃金になる可能性も、大いにあり得る。
相手によっては、共稼ぎでなければCalifornia Fitness 教練、やっていけない場合もある。
「行ってらっしゃい」から「お帰りなさい」までのオンタイム。
「お帰りなさい」から「行ってらっしゃい」までの、家庭で一緒に過ごす時間。
高賃金に見合うだけの働きをしている奥サマは、どれぐらいいるのだろうか?
夫が汗水流して働いている間、奥サマ方は、高級レストランでランチ。
その一方で、低賃金でも、主婦の鑑のような妻もいる。
高い収入のある人は、ほとんどが、その収入に見合った能力があるからだろうが、
「たいしたこともないのに、高収入」ということも中にはある。
奥サマも、そう。
ステイタスに相応しくなるように、California Fitness 教練自らを律して、高める、自助努力が必要だ。
奥サマ、お嬢サマは、世の中の荒波に揉まれず、美しいまま時を重ねる。
それを真の美しさだと自負している方もおられる。
それはそれで結構なことなのだが、一歩間違えば、大きな勘違いになる。
ハナシが元に戻るが、
仕事の苦しさから逃げ出して飛び込んだ家庭も、California Fitness 教練お金のあるなしで、天国と地獄。
こんなことでは、仕事のほうがまだマシ、と、また仕事に復帰することもあるだろう。
またまた額に汗して、あくせく労働の毎日。
ああ、やっぱり仕事を辞めたい。でも、お金が必要。辞められない。
そして、苦しみ、もがいて、仕事を続け、気付く。
仕事をしているのは、なにもお金のためだけではないのだと。
その時にはじめて、奥サマや、お嬢サマには味わえない爽快感、達成感を味わう。
登山家は、山があるから登るんだそうだが、
登る苦しみを乗り越え、達する喜びがあるから、困難に挑戦し続ける。
奥サマや、お嬢サマは、仕事をしている人を気の毒に、と思っているかも知れないが
仕事をしている人は、逆に、
奥サマや、お嬢サマのことを、可哀想に???と思っているかも知れない。
あるいは、そんな達成感など微塵もなく、職場環境も最悪、いいことが一つもない、
ダイっ嫌いな仕事をし続けないといけない人生が、ほとほと嫌になる場合だってある。
その時は、奥サマ、いえ、お姫サマになりたいと願う。
そうやって駆け込んだ家庭が、また、思い通りには行かず、ああ、仕事の方がマシ???
堂々巡り。
駆け込めるところがある人は、いい。
家庭や仕事、両方でなくても、そのどちらかがある人は、幸せだ。
過酷な労働条件、低賃金で働く人、今日のことで精一杯の人、仕事激減、ハードな時代。
この深刻な不況で、定時制高校の志願者が一気に増えたらしい。
親に泣きつかれて、定時制高校に志望を変えた子供の気持ち、親の気持ち。。。
進学は、将来の仕事にも、大きく関わっている大事なことだ。
そんなにやたら大きな夢や、たくさんのお金がなくても、
ささやかな日常でも、平和に暮らせる基礎があれば、それでいい。
心身ともに健康であること。前向きであること。
その土台の上に、いろいろな花が咲く。
Posted by キも at
17:16
│Comments(0)
2015年03月23日
少しは動
二日前に???久々にぎっくり腰をやってしまった。「やった」という感じは全くなく、朝家の掃き掃除をしていて何となく違和感を感じただけだった。
ところが次第に腰に痛みと張りが出てきて、Maggie Beauty黑店仕事中ははた目から見て「腰をかばってます」という姿勢になっていた。
昨日は用心して腰痛ベルトを巻いて仕事した。もちろん介護職ではないので直接腰に来ることはなく、幸い悪化することはなかった。
今日は朝一で整体の予約だった。二日前は今日が遠いように感じるほど辛かったが、今日には随分楽になっていた。リンパマッサージをまじめにやってきたお陰で、Maggie Beauty黑店リンパの詰まりも少し改善されたようで整体での痛みもあまりなかった。
「マッサージちゃんとしてたんですね。」
先生からもそう言われ、やっぱりちゃんとすれば結果はついてくるのだなあ???と当たり前のことだが考えていた。まあ、今までほったらかしてこの体たらくなのだから、今さらまじめにやってますと偉そうに言うことは出来ないのだが。
「えっと、ストレッチはしてますか」
マッサージに気を良くしていたら先生にそう言われた。
「前屈とか出来ますか?」
???。う~ん、もともと体は固い方である。芝居をしていたころは嫌でもストレッチしていたので、少しは動かせたが今は全く自信がない。腹筋も前は結構できていたが今やったらどうなのだろう。
「えっと???してません。」
腰が治ったら、リンパマッサージにストレッチもしなくちゃならないか。本当にリハビリである。
「呼吸も出来たら腹式呼吸を心がけてMaggie Beauty黑店。」
???。舞台やってたものが、腹式呼吸を教えられるようじゃだめなのだ。おばはん体形になってきているということを遠回しに言われたに等しい。
負けるもんか。絶対肉体改造してやる!!

ところが次第に腰に痛みと張りが出てきて、Maggie Beauty黑店仕事中ははた目から見て「腰をかばってます」という姿勢になっていた。
昨日は用心して腰痛ベルトを巻いて仕事した。もちろん介護職ではないので直接腰に来ることはなく、幸い悪化することはなかった。
今日は朝一で整体の予約だった。二日前は今日が遠いように感じるほど辛かったが、今日には随分楽になっていた。リンパマッサージをまじめにやってきたお陰で、Maggie Beauty黑店リンパの詰まりも少し改善されたようで整体での痛みもあまりなかった。
「マッサージちゃんとしてたんですね。」
先生からもそう言われ、やっぱりちゃんとすれば結果はついてくるのだなあ???と当たり前のことだが考えていた。まあ、今までほったらかしてこの体たらくなのだから、今さらまじめにやってますと偉そうに言うことは出来ないのだが。
「えっと、ストレッチはしてますか」
マッサージに気を良くしていたら先生にそう言われた。
「前屈とか出来ますか?」
???。う~ん、もともと体は固い方である。芝居をしていたころは嫌でもストレッチしていたので、少しは動かせたが今は全く自信がない。腹筋も前は結構できていたが今やったらどうなのだろう。
「えっと???してません。」
腰が治ったら、リンパマッサージにストレッチもしなくちゃならないか。本当にリハビリである。
「呼吸も出来たら腹式呼吸を心がけてMaggie Beauty黑店。」
???。舞台やってたものが、腹式呼吸を教えられるようじゃだめなのだ。おばはん体形になってきているということを遠回しに言われたに等しい。
負けるもんか。絶対肉体改造してやる!!

Posted by キも at
15:57
│Comments(0)
2015年03月20日
読書嫌い
私は、子供の頃、あまり読書が好きではなく、
「もっと読書しなさい」と、溶脂いつも母に言われていた。
そういう母こそ、読書しているところなど、一度も見たことがなかった。
(母は仕事で忙しいこともあったが。)
私は「自分の行動で手本を示してよね」、と心の中で思っていた。
家には、「ファーブル昆虫」や「安寿と厨子王」などの子供向けの本があり、
一応なりゆきで読んだりした。
若くして結婚した母だったので、驗窗あまりにも何も知らないことに父が驚き、
私たちが生まれた後、父が母をcollegeに通わせた。
当然ながら、母の学友は未婚の若い方ばかりだったので、
クラスメートの子供(幼児)が珍しいのだろう。
私は彼女たちに囲まれ、だっこしてもらったことを覚えている。
母が世の中のことや、理論を知らないのに、
あれこれわかったように、断定的に頭ごなしに我々に言うので、
兄が高校生ぐらいの時に頭にきて、ムツカシイ本(経済系)を手渡した。
姉によると、あれは子供側から勃発した「教育革命」だったとか。
「読むわよ!」とむきになって受け取ったものの、母は、ほんの数分読んでダウン。
私は、母が読むはずない、読めるはずがない、と思っていた。
そういう母だが、自分ではそんなこと、これっぽっちも自覚していなくて、
「おかあちゃんは、数学はクラスで1番やった」と平気で言う。
「いったい、どんなクラス??」と不思議でならなかった。(今も、だ)
そういう私も、母のことは言えない。立派な読書嫌いに育った。
姉は、小学校のとき、小学校の図書館の本を全て読んでいた。
1巡では飽き足らず、何巡も読んでいた。(私は、たった数冊だったが)
活字本だけではなく、少女&少年漫画(週間漫画誌、月間漫画誌など)、
すごい量の漫画も古本屋(貸本屋)で、借りて読んでいたが、
私はその中で、好きな連載ものだけ拾い読みしていた。
兄は社会派の本が多く、その中から、私は「夜と霧」を読んだ記憶がある。
モノクロの写真もある、ショッキングな内容だった。
その本は、先日、紀伊国屋書店で平積みで売っているのを見かけた。
ずいぶんロングセラーなことに、妙に感心した。
平和の大切さを痛感させる本なので、永久に読み継がれるのだろう。
そういう子供時代を過ごした、読書嫌いの私だが、
なぜか私の子供たちは読書好き。
今、末っ子の部屋は、大量の本の山。漫画も大量。雑誌は一切買わず、単行本ばかり。
単行本はサイズが小さいから、収納にはかさ張らないのがいいのだが。
他の子供たちも、久しぶりに帰省しても、本ばかり読んでいる。
小さい頃、絵本などの読み聞かせは、ほとんどしたことはない。
私は辞書を身近に置いて、いつも疑問に思うと、辞書を引いていたが、
子供たちも辞書は生活の一部になっていたかも知れない。
創作話は、よくしてあげていた。
次々にリクエストしてくるので、ストーリーが即興続きで、滅茶苦茶なこともあった。
いい加減なものだ。
小さい頃は、たいして本は買い与えず、絵本と歴史漫画シリーズ、
あとは知識や思考力の助けになる程度の本を本棚に入れておいた。
母のように「読書しなさい」とは一切言わなかった。
ちなみに、彼らは、ファミコン世代の走りでもある。
読書をする女性は、知恵づく故に生き難かった時代があった。
読書で知らない世界を知る。
この素晴らしい機会を手に入れ損なっていた私だが、大人になってから
自分が手に入れたい知識、考え方、疑問への答えを必要に迫られ、貪り読んだ時もあった。
アイデンティティ、自我、自立心、知識、考え方、本から、いろんな宝物を授かる。
最近は、読書に限らず、ネット社会や他のメディアからも豊富な情報を得ることができる。
ただ、情報が氾濫しすぎて、確かな目で選択しないと、振り回されることになりかねない。
旅先で出会った光景、ふと見たテレビの特集番組、なにげない会話のなか???、
知識が、実像や映像に結びついたときに、新たな感動を覚える。
知らなかったことを知った驚き、とても新鮮だ。
まだまだ知らないことが山ほどあるので、

「もっと読書しなさい」と、溶脂いつも母に言われていた。
そういう母こそ、読書しているところなど、一度も見たことがなかった。
(母は仕事で忙しいこともあったが。)
私は「自分の行動で手本を示してよね」、と心の中で思っていた。
家には、「ファーブル昆虫」や「安寿と厨子王」などの子供向けの本があり、
一応なりゆきで読んだりした。
若くして結婚した母だったので、驗窗あまりにも何も知らないことに父が驚き、
私たちが生まれた後、父が母をcollegeに通わせた。
当然ながら、母の学友は未婚の若い方ばかりだったので、
クラスメートの子供(幼児)が珍しいのだろう。
私は彼女たちに囲まれ、だっこしてもらったことを覚えている。
母が世の中のことや、理論を知らないのに、
あれこれわかったように、断定的に頭ごなしに我々に言うので、
兄が高校生ぐらいの時に頭にきて、ムツカシイ本(経済系)を手渡した。
姉によると、あれは子供側から勃発した「教育革命」だったとか。
「読むわよ!」とむきになって受け取ったものの、母は、ほんの数分読んでダウン。
私は、母が読むはずない、読めるはずがない、と思っていた。
そういう母だが、自分ではそんなこと、これっぽっちも自覚していなくて、
「おかあちゃんは、数学はクラスで1番やった」と平気で言う。
「いったい、どんなクラス??」と不思議でならなかった。(今も、だ)
そういう私も、母のことは言えない。立派な読書嫌いに育った。
姉は、小学校のとき、小学校の図書館の本を全て読んでいた。
1巡では飽き足らず、何巡も読んでいた。(私は、たった数冊だったが)
活字本だけではなく、少女&少年漫画(週間漫画誌、月間漫画誌など)、
すごい量の漫画も古本屋(貸本屋)で、借りて読んでいたが、
私はその中で、好きな連載ものだけ拾い読みしていた。
兄は社会派の本が多く、その中から、私は「夜と霧」を読んだ記憶がある。
モノクロの写真もある、ショッキングな内容だった。
その本は、先日、紀伊国屋書店で平積みで売っているのを見かけた。
ずいぶんロングセラーなことに、妙に感心した。
平和の大切さを痛感させる本なので、永久に読み継がれるのだろう。
そういう子供時代を過ごした、読書嫌いの私だが、
なぜか私の子供たちは読書好き。
今、末っ子の部屋は、大量の本の山。漫画も大量。雑誌は一切買わず、単行本ばかり。
単行本はサイズが小さいから、収納にはかさ張らないのがいいのだが。
他の子供たちも、久しぶりに帰省しても、本ばかり読んでいる。
小さい頃、絵本などの読み聞かせは、ほとんどしたことはない。
私は辞書を身近に置いて、いつも疑問に思うと、辞書を引いていたが、
子供たちも辞書は生活の一部になっていたかも知れない。
創作話は、よくしてあげていた。
次々にリクエストしてくるので、ストーリーが即興続きで、滅茶苦茶なこともあった。
いい加減なものだ。
小さい頃は、たいして本は買い与えず、絵本と歴史漫画シリーズ、
あとは知識や思考力の助けになる程度の本を本棚に入れておいた。
母のように「読書しなさい」とは一切言わなかった。
ちなみに、彼らは、ファミコン世代の走りでもある。
読書をする女性は、知恵づく故に生き難かった時代があった。
読書で知らない世界を知る。
この素晴らしい機会を手に入れ損なっていた私だが、大人になってから
自分が手に入れたい知識、考え方、疑問への答えを必要に迫られ、貪り読んだ時もあった。
アイデンティティ、自我、自立心、知識、考え方、本から、いろんな宝物を授かる。
最近は、読書に限らず、ネット社会や他のメディアからも豊富な情報を得ることができる。
ただ、情報が氾濫しすぎて、確かな目で選択しないと、振り回されることになりかねない。
旅先で出会った光景、ふと見たテレビの特集番組、なにげない会話のなか???、
知識が、実像や映像に結びついたときに、新たな感動を覚える。
知らなかったことを知った驚き、とても新鮮だ。
まだまだ知らないことが山ほどあるので、

Posted by キも at
12:17
│Comments(0)
2015年03月16日
喜怒哀楽
「女性の魅力はどこから来るか?」
「第一印象」の項でも書きましたが、やはり笑顔でしょ!
どんなに美しい女性も、「むっ」としてたら???
それだけで、名創優品魅力は台無しになってしまいます。
昨今、ドラマやラジオでは、子役が活躍する機会が増えてます。
私は「作り物」と言う感覚が拭いきれません。
芝居中は仕方がないと思いますが、
バラエティー番組においても、名創優品「かわいげ」がありません。
そんな番組も、一つの「芝居」でしょうが、
「子供らしさ」はなくしてしまっていると感じて仕方がありません。
「こんな子供が大人になったら????」
ちょっとした『恐怖』を覚えるのは、私だけでしょうか?
芝居ではなく、単純に「喜怒哀楽」を表現する子供に魅力を感じるように、
大人も、「喜怒哀楽」を、素直に表現してもかまわないのではないでしょうか?
もちろん、大人は「TPO」を考えなければなりませんけどね。
問題は???それこそ大人は「喜怒哀楽」の表現を「演出」するんですよね。
皆が笑うから、私も笑う名創優品。
皆が怒るから、私も、それほど怒ってなくても激怒してみせる????
そんな風に、大人は自分を作ってしまいます。
誰だって、自分をよいように思って欲しいですからね。
でも????
その「芝居」は、簡単に見透かされてしまうものです。
私は、中学生の卒業式の時、今でも覚えています。
非常に、印象的な出来事があったんです。
別に、特別なことではないのですが、「私にとって」新鮮な出来事だったのです。
それは、何人かの女生徒と同様、泣きじゃくる野球部員がいたんです。
唯一、男子生徒の中で号泣する彼。
彼に、「なんで、泣いてるの?」と問う私に、
「いろんなこと、思い出したら、泣けてきた」嗚咽を堪えて言った彼。
そう、彼は実に素直に、心の命ずるままに、
自分の気持ちを表したに過ぎなかったわけです。
「こいつは、本当に充実した3年間を送ってきたんだ」と思いました。
そして自分の過ごした3年が「薄っぺらなもの」のように感じました。
今、思い返せば、それなりに充実してましたよ。
若すぎた私は、充実した3年を過ごした野球部員に、嫉妬したんでしょう。
「嫉妬」というか、ちょっとして「衝撃」を受けた記憶が鮮明にあります。
本能の命ずるままに表現される「喜怒哀楽」が、
その人の魅力ではないでしょうか?
では、その「本能」ってなんだ?っていうことを、次は考えていこうと思います。
励みになります、お帰りにポチッとよろしく!お願いします。

「第一印象」の項でも書きましたが、やはり笑顔でしょ!
どんなに美しい女性も、「むっ」としてたら???
それだけで、名創優品魅力は台無しになってしまいます。
昨今、ドラマやラジオでは、子役が活躍する機会が増えてます。
私は「作り物」と言う感覚が拭いきれません。
芝居中は仕方がないと思いますが、
バラエティー番組においても、名創優品「かわいげ」がありません。
そんな番組も、一つの「芝居」でしょうが、
「子供らしさ」はなくしてしまっていると感じて仕方がありません。
「こんな子供が大人になったら????」
ちょっとした『恐怖』を覚えるのは、私だけでしょうか?
芝居ではなく、単純に「喜怒哀楽」を表現する子供に魅力を感じるように、
大人も、「喜怒哀楽」を、素直に表現してもかまわないのではないでしょうか?
もちろん、大人は「TPO」を考えなければなりませんけどね。
問題は???それこそ大人は「喜怒哀楽」の表現を「演出」するんですよね。
皆が笑うから、私も笑う名創優品。
皆が怒るから、私も、それほど怒ってなくても激怒してみせる????
そんな風に、大人は自分を作ってしまいます。
誰だって、自分をよいように思って欲しいですからね。
でも????
その「芝居」は、簡単に見透かされてしまうものです。
私は、中学生の卒業式の時、今でも覚えています。
非常に、印象的な出来事があったんです。
別に、特別なことではないのですが、「私にとって」新鮮な出来事だったのです。
それは、何人かの女生徒と同様、泣きじゃくる野球部員がいたんです。
唯一、男子生徒の中で号泣する彼。
彼に、「なんで、泣いてるの?」と問う私に、
「いろんなこと、思い出したら、泣けてきた」嗚咽を堪えて言った彼。
そう、彼は実に素直に、心の命ずるままに、
自分の気持ちを表したに過ぎなかったわけです。
「こいつは、本当に充実した3年間を送ってきたんだ」と思いました。
そして自分の過ごした3年が「薄っぺらなもの」のように感じました。
今、思い返せば、それなりに充実してましたよ。
若すぎた私は、充実した3年を過ごした野球部員に、嫉妬したんでしょう。
「嫉妬」というか、ちょっとして「衝撃」を受けた記憶が鮮明にあります。
本能の命ずるままに表現される「喜怒哀楽」が、
その人の魅力ではないでしょうか?
では、その「本能」ってなんだ?っていうことを、次は考えていこうと思います。
励みになります、お帰りにポチッとよろしく!お願いします。

Posted by キも at
16:30
│Comments(0)
2015年03月13日
一昼夜で
剥がれていくように
雪が 土の上から
形を消していく
あんなにも 私たちの進む道を銀座calla脫毛
急激に 遮断してみせた雪
120年前の記録を破るほどの
大雪となって
私たちに たく三高さんのことを
語ったのだ
でも あなたの言葉がわからなくて
右往左往致しました
そして 私たちの
大切な命も 失われました
そうまでしても
あなたは降りつづけ美白產品
白い絹布で 地上を覆い隠した
今地面には あなたの声を聞きとった
草の種たちが目を覚ました
陽の光で 今にも雪片が消えゆく場所に
鮮やかな 小さなオオイヌノフグリが
青い花をのぞかせている

雪が 土の上から
形を消していく
あんなにも 私たちの進む道を銀座calla脫毛
急激に 遮断してみせた雪
120年前の記録を破るほどの
大雪となって
私たちに たく三高さんのことを
語ったのだ
でも あなたの言葉がわからなくて
右往左往致しました
そして 私たちの
大切な命も 失われました
そうまでしても
あなたは降りつづけ美白產品
白い絹布で 地上を覆い隠した
今地面には あなたの声を聞きとった
草の種たちが目を覚ました
陽の光で 今にも雪片が消えゆく場所に
鮮やかな 小さなオオイヌノフグリが
青い花をのぞかせている

Posted by キも at
12:17
│Comments(0)
2015年03月12日
梅雨です
農家に聞くと、「雨が降らないなら降らないで困る。
そやけど、こう毎日続くと野菜が根腐れするし、トマトなんか水分含みすぎて弾けよる。
メロンはパンパン裂けて どうにもならん。ほどほどに降ってほしいわ…」だそうです。
ほどほどがどれくらいなのかはわかりませんが、天気だけ鮮魚行は人間の力の及ぶところではなく、
難しいものです。
そんな梅雨の真っ最中、6月30日は水無月(ういろうに小豆の乗ったお菓子)を
食べる日でしたが、皆さんは召し上がりましたか?
雨が多い月なのに、何故6月を水無月と言うのか、不思議に思って実家の母に聞くと、
「この日が1年の半分過ぎた折り返しの日なので、残り半年を無事に過ごせるようにとの
願いをこめて食べるのや。白い三角を氷に見立て暑い夏を涼しく過ごし、小豆はおめでたい
時に使う物として縁起をかついでいるんや。残り半年の無事を祈って30日に食べることに
意味があるんやで。あんた、今まで由来も知らんと食べてたんか」と説教されましたが、
今年ももう折り返し点を越えてしまったんですねぇ…。早いものです。
さて、全然関係のない話なのですが、2月と7月は私にはビクビクものの月なんです。
農家のビクビクに比べたら時限の違う話で怒られますが…。
だって、2月と7月は子猫が生まれる時期で、あちこちに捨てられてるからなんですっ!!
見たら放っておけない私(うちの子ども達もだけど)は迪士尼美語 有沒有效保護しては連れ帰り、
病院に連れて行って(たいてい衰弱してるし)、育ててトイレの躾をして貰い手探しに
ポスターを作って、もう精魂尽き果てるんです。
貰い手が見つからなければ飼うしかないし…それだけは避けたい。
道を歩いててダンボール箱とかがあると、子猫が入ってるんじゃないかとチョー怖い。
赤ちゃんの泣き声まで子猫の声に聞こえてしまうし、草むらで何かが動くと「子猫か!?」と
常にビクビクの月なんです。
我が家にいる2匹の先住猫は、1匹は(名前はうずらと言う)オスなのに、
一生懸命に子猫の世話をし、オッパイまで吸わせる見上げたヤツなんですが、
もう1匹のメス(きなこ)の方が、フーフーハーハー怒りまくりで発狂寸前になる
困ったヤツなのです。
数年前のこの時期には息子が巣から落ちたコノハズク(フクロウみたいな鳥)の子どもを
拾ってきて、何を与えたらいいのかわからず獣医に聞きに行き、ミルワーム(ミミズみたいな
形の甲虫の幼虫)を与えろと言われたものでペットショップに買いに行きました。
このミルワーム、パックに入って売られてますが、オガクズの中で無数のミミズ状態のものが
うにょうにょ動いてる様は、さすがの虫好きの私でも勘弁してって感じです。しかもコイツは
甲虫の幼虫なので、冷蔵庫で保管しないとすぐに成虫になってしまうので、冷蔵庫の中にミル
ワームのパックがいくつも並ぶという恐ろしい光景になります…
なんとか育てて飼い主を見つけましたが(本当は飼ってはいけない鳥らしいのですが、
人の手で育てると自然では生きていけないそうなので…)、
そんなこんなで、このシーズンは原っぱや川べりは絶対歩かないようにしているわけです。
なのに!!やっぱり今年も子猫を保護してしまい、(知り合いが拾って「何とかして~っ」
と渡された…)、今、トイレトレーニング格闘中です。
梅雨だしタオルは乾かないし、案の定 きなこは全身の毛を逆立てて怒ってるし…。
世間ではこの不況で、飼えなくなって捨てられる動物が増えてるらしく、
殺処分される数も増えてると聞きます。
もの言えぬ立場の弱い動物たちを思うと胸が痛い。
拾ってる私だって極貧で赤字生活なのに頑張っているんだぞ!!
一旦飼ったなら最後まで頑張って面倒見てほしい。
ペットショップで高い血統書つきの子犬や猫を2匹飼うなら、
1匹は動物愛護センターへ行って、殺処分される犬や猫をもらって
1匹でも命を救ってほしい。
2010_07a.jpg
そんなことを想いつつ、どうかこの子猫も貰い手が見つかりますように、
動物たちがこれ以上捨てられたりしませんように、
と梅雨の曇り空に手を合わせて祈ってしまう月なんです…

そやけど、こう毎日続くと野菜が根腐れするし、トマトなんか水分含みすぎて弾けよる。
メロンはパンパン裂けて どうにもならん。ほどほどに降ってほしいわ…」だそうです。
ほどほどがどれくらいなのかはわかりませんが、天気だけ鮮魚行は人間の力の及ぶところではなく、
難しいものです。
そんな梅雨の真っ最中、6月30日は水無月(ういろうに小豆の乗ったお菓子)を
食べる日でしたが、皆さんは召し上がりましたか?
雨が多い月なのに、何故6月を水無月と言うのか、不思議に思って実家の母に聞くと、
「この日が1年の半分過ぎた折り返しの日なので、残り半年を無事に過ごせるようにとの
願いをこめて食べるのや。白い三角を氷に見立て暑い夏を涼しく過ごし、小豆はおめでたい
時に使う物として縁起をかついでいるんや。残り半年の無事を祈って30日に食べることに
意味があるんやで。あんた、今まで由来も知らんと食べてたんか」と説教されましたが、
今年ももう折り返し点を越えてしまったんですねぇ…。早いものです。
さて、全然関係のない話なのですが、2月と7月は私にはビクビクものの月なんです。
農家のビクビクに比べたら時限の違う話で怒られますが…。
だって、2月と7月は子猫が生まれる時期で、あちこちに捨てられてるからなんですっ!!
見たら放っておけない私(うちの子ども達もだけど)は迪士尼美語 有沒有效保護しては連れ帰り、
病院に連れて行って(たいてい衰弱してるし)、育ててトイレの躾をして貰い手探しに
ポスターを作って、もう精魂尽き果てるんです。
貰い手が見つからなければ飼うしかないし…それだけは避けたい。
道を歩いててダンボール箱とかがあると、子猫が入ってるんじゃないかとチョー怖い。
赤ちゃんの泣き声まで子猫の声に聞こえてしまうし、草むらで何かが動くと「子猫か!?」と
常にビクビクの月なんです。
我が家にいる2匹の先住猫は、1匹は(名前はうずらと言う)オスなのに、
一生懸命に子猫の世話をし、オッパイまで吸わせる見上げたヤツなんですが、
もう1匹のメス(きなこ)の方が、フーフーハーハー怒りまくりで発狂寸前になる
困ったヤツなのです。
数年前のこの時期には息子が巣から落ちたコノハズク(フクロウみたいな鳥)の子どもを
拾ってきて、何を与えたらいいのかわからず獣医に聞きに行き、ミルワーム(ミミズみたいな
形の甲虫の幼虫)を与えろと言われたものでペットショップに買いに行きました。
このミルワーム、パックに入って売られてますが、オガクズの中で無数のミミズ状態のものが
うにょうにょ動いてる様は、さすがの虫好きの私でも勘弁してって感じです。しかもコイツは
甲虫の幼虫なので、冷蔵庫で保管しないとすぐに成虫になってしまうので、冷蔵庫の中にミル
ワームのパックがいくつも並ぶという恐ろしい光景になります…
なんとか育てて飼い主を見つけましたが(本当は飼ってはいけない鳥らしいのですが、
人の手で育てると自然では生きていけないそうなので…)、
そんなこんなで、このシーズンは原っぱや川べりは絶対歩かないようにしているわけです。
なのに!!やっぱり今年も子猫を保護してしまい、(知り合いが拾って「何とかして~っ」
と渡された…)、今、トイレトレーニング格闘中です。
梅雨だしタオルは乾かないし、案の定 きなこは全身の毛を逆立てて怒ってるし…。
世間ではこの不況で、飼えなくなって捨てられる動物が増えてるらしく、
殺処分される数も増えてると聞きます。
もの言えぬ立場の弱い動物たちを思うと胸が痛い。
拾ってる私だって極貧で赤字生活なのに頑張っているんだぞ!!
一旦飼ったなら最後まで頑張って面倒見てほしい。
ペットショップで高い血統書つきの子犬や猫を2匹飼うなら、
1匹は動物愛護センターへ行って、殺処分される犬や猫をもらって
1匹でも命を救ってほしい。
2010_07a.jpg
そんなことを想いつつ、どうかこの子猫も貰い手が見つかりますように、
動物たちがこれ以上捨てられたりしませんように、
と梅雨の曇り空に手を合わせて祈ってしまう月なんです…

Posted by キも at
17:26
│Comments(0)
2015年03月05日
募金していた時に
我が家の10歳児は、
どういうわけか幼い頃からマテリアルガールで
お金への執着が姉より兄よりずっと強い。
次女が2、3歳の頃、おもちゃ箱の奥の方に
グランパやグランマからもらったお小遣いを
へそくりのように隠してあるのを見つけたこともあるし
何年か前、次女からいきなり
「ね、マミーが死んだらこの家はアタシのもの?」と
衝撃的な質問をされたこともある。
そうかと思えば2年ほど前、
学校の資金集めで募金していた時に
お誕生日にグランパからもらったばかりの100ドル札を
募金袋に入れて学校に寄付してしまったこともあった。
学校の資金集めで、他の子に負けたくないという
へんな競争心があるらしく、
資金集めになるとはりきってしまう次女だ。
最近は、学校のキャンプのyou beauty 美容中心好唔好資金集めで
いろいろなレストランやお店でディスカウントをもらえる
「スピリットカード」というのを売ることになり
子供たちはそれぞれ20枚ずつそのカードを持ち帰った。
次女は昨日さっそくオフィスにもそのカードを持って来て
みんなに押し売りを始めた。
私はみんなにそんな無駄遣いをさせるのが申し訳なくて
今までなるべく自分で全部寄付してしまうようにしてきたけれど
今回は次女があまりにも売る気まんまんだったので
みんなには悪いなあ~と思いながら、
次女の押し売りを容認してしまった。ごめんね。
トシエちゃんにおつりが必要だった時には
「もう1枚チャド君に買えばnu skin 如新みきちゃんの分は?」と
複数売りつけようとするし、
サントワさんやむっちゃんも買ってくれるらしいと知ると
さっそく日本語で請求書を書いていた。

どういうわけか幼い頃からマテリアルガールで
お金への執着が姉より兄よりずっと強い。
次女が2、3歳の頃、おもちゃ箱の奥の方に
グランパやグランマからもらったお小遣いを
へそくりのように隠してあるのを見つけたこともあるし
何年か前、次女からいきなり
「ね、マミーが死んだらこの家はアタシのもの?」と
衝撃的な質問をされたこともある。
そうかと思えば2年ほど前、
学校の資金集めで募金していた時に
お誕生日にグランパからもらったばかりの100ドル札を
募金袋に入れて学校に寄付してしまったこともあった。
学校の資金集めで、他の子に負けたくないという
へんな競争心があるらしく、
資金集めになるとはりきってしまう次女だ。
最近は、学校のキャンプのyou beauty 美容中心好唔好資金集めで
いろいろなレストランやお店でディスカウントをもらえる
「スピリットカード」というのを売ることになり
子供たちはそれぞれ20枚ずつそのカードを持ち帰った。
次女は昨日さっそくオフィスにもそのカードを持って来て
みんなに押し売りを始めた。
私はみんなにそんな無駄遣いをさせるのが申し訳なくて
今までなるべく自分で全部寄付してしまうようにしてきたけれど
今回は次女があまりにも売る気まんまんだったので
みんなには悪いなあ~と思いながら、
次女の押し売りを容認してしまった。ごめんね。
トシエちゃんにおつりが必要だった時には
「もう1枚チャド君に買えばnu skin 如新みきちゃんの分は?」と
複数売りつけようとするし、
サントワさんやむっちゃんも買ってくれるらしいと知ると
さっそく日本語で請求書を書いていた。

Posted by キも at
18:01
│Comments(0)
2015年03月04日
ガラガラ
ぽつん、ぽつんとしか、お客さんがいない。3組~4組??
ディズニーによる映画ということで、
クリスマス前の、賑やかな映画だろうと期待して観に行ったのだが。
『クリスマス?キャロル』 (原題:A Christmas Carol) は、
1843年のクリスマス前に出版された、英国の文豪ディケンズの中編小説。
その原作通りの内容だったが、実写とアニメを融合させた、新しい映像だった。
ジム?キャリーの、どの部分が、どういう風に現われていて、
どこからどこまでが、実写で、どれが、アニメなのか、よくわからなかったが、
3D映像とかで、スピード感はあった。
19世紀の冬のロンドンの街並みや人々の暮らしが、精緻に巧みに描かれていて、
「あ、こういう時代、街、好きかも」と、ドキンとした。
クイーンズ?イングリッシュなのだろうか。
とてもわかりやすい、クリアーな発音の主人公(クルージー)。
彼は、「Good afternoon!」と何度も言って、寄付を募りに訪れた人を追い払った。
こういう使い方をするんだ???
「うるさい!」とか、「もう、いい!」「だまれ!」Nutrilite產品「関係ないだろ!」「早く帰れ!」
みたいなニュアンスに使われていた。
私は、クイーンズ?イングリッシュのような(正確にははっきりわからないが)、
あの発音、好きだなぁ???
肝心のストーリーについてだが、
私は、キリスト教徒ではないし、一般的仏教徒(無信仰に近い消極的信者)には、
街のイルミネーションや、ツリー、ジングルベル、プレゼントなどに踊らされることはあっても、
クリスマスを心から祝うという、宗教的背景が形成されていないので、心底わかったとは言えない。
外国の文化を遠巻きに見る、そんなかんじだ。
決して、お金持ちではなくても、夢と希望を忘れず、YOOX 購物感謝と慈悲の気持ちを持って、
努力をして、前向きに生きよう、ということらしい。
『クリスマス?キャロル』が出版された時代は、
マルクスが、「資本論」を出し、社会が大きく変わろうとしていた頃。
イギリスのあの時代は、まさに活気ある時代。
私は、よく知りもしないのに、理屈抜きで憧れてしまう。
文明開化の影響を受けるには、私の年齢は、あまりにも、時代的に合っていない。
戦後の豊かなアメリカ文化の影響も、生活の中では大きく受けているかも知れないが、
当り前のようになっていて、自覚がない。
社会全体に、アメリカ至上主義みたいなムードは、あったかも知れない。
しかし、今や、お手本とする憧れのアメリカの姿はなく、独自の目標を模索しているように思える。
私はなぜか、あの重厚なイギリス????が、好きなのだ。
遠い昔、生まれて初めて海外を訪れた地も、イギリスだった。
映画で、イキイキと描写されていた街や人々の風情にすっかり魅せられた私は、
あの街に、行きたくなった。

ディズニーによる映画ということで、
クリスマス前の、賑やかな映画だろうと期待して観に行ったのだが。
『クリスマス?キャロル』 (原題:A Christmas Carol) は、
1843年のクリスマス前に出版された、英国の文豪ディケンズの中編小説。
その原作通りの内容だったが、実写とアニメを融合させた、新しい映像だった。
ジム?キャリーの、どの部分が、どういう風に現われていて、
どこからどこまでが、実写で、どれが、アニメなのか、よくわからなかったが、
3D映像とかで、スピード感はあった。
19世紀の冬のロンドンの街並みや人々の暮らしが、精緻に巧みに描かれていて、
「あ、こういう時代、街、好きかも」と、ドキンとした。
クイーンズ?イングリッシュなのだろうか。
とてもわかりやすい、クリアーな発音の主人公(クルージー)。
彼は、「Good afternoon!」と何度も言って、寄付を募りに訪れた人を追い払った。
こういう使い方をするんだ???
「うるさい!」とか、「もう、いい!」「だまれ!」Nutrilite產品「関係ないだろ!」「早く帰れ!」
みたいなニュアンスに使われていた。
私は、クイーンズ?イングリッシュのような(正確にははっきりわからないが)、
あの発音、好きだなぁ???
肝心のストーリーについてだが、
私は、キリスト教徒ではないし、一般的仏教徒(無信仰に近い消極的信者)には、
街のイルミネーションや、ツリー、ジングルベル、プレゼントなどに踊らされることはあっても、
クリスマスを心から祝うという、宗教的背景が形成されていないので、心底わかったとは言えない。
外国の文化を遠巻きに見る、そんなかんじだ。
決して、お金持ちではなくても、夢と希望を忘れず、YOOX 購物感謝と慈悲の気持ちを持って、
努力をして、前向きに生きよう、ということらしい。
『クリスマス?キャロル』が出版された時代は、
マルクスが、「資本論」を出し、社会が大きく変わろうとしていた頃。
イギリスのあの時代は、まさに活気ある時代。
私は、よく知りもしないのに、理屈抜きで憧れてしまう。
文明開化の影響を受けるには、私の年齢は、あまりにも、時代的に合っていない。
戦後の豊かなアメリカ文化の影響も、生活の中では大きく受けているかも知れないが、
当り前のようになっていて、自覚がない。
社会全体に、アメリカ至上主義みたいなムードは、あったかも知れない。
しかし、今や、お手本とする憧れのアメリカの姿はなく、独自の目標を模索しているように思える。
私はなぜか、あの重厚なイギリス????が、好きなのだ。
遠い昔、生まれて初めて海外を訪れた地も、イギリスだった。
映画で、イキイキと描写されていた街や人々の風情にすっかり魅せられた私は、
あの街に、行きたくなった。

Posted by キも at
15:46
│Comments(0)