スポンサーリンク

上記の広告は、30日以上更新がないブログに表示されています。
新たに記事を投稿することで、広告を消すことができます。  

Posted by んだ!ブログ運営事務局 at

2014年11月27日

喜んだのは、夫だろう

息子がいきなり、突然、帰ってきた。

はるか遠方地に赴任している息子。
いつも彼は、何の前触れもなく帰ってくる。
連絡があるのは、当日、家に着く少し前の時間。

義母に、9月帰省のことはちょこっと触れていたようだった。
義母からは、それとなく聞いていたが、本当に、予告通り、9月に帰ってきた。




庭に部分的に敷き詰めてある、テラコッタに付着した汚れが気になる息子。
以前には、デッキブラシでゴシゴシ掃除してくれた。
(その日のことは、蝶ブログでも綴った記憶がある)

デッキブラシでは取れないので、夫が最近、水圧洗浄機を購入した。
で、除去してくれる場面では、微笑ましい、親子?共同作業となった。
深く会話するわけでもないが、黙黙と作業する姿を見ると、こころが和む。

別に会話は要らないようだ。
元気な顔を見せてくれるだけでいい。


「しかしまあ、うちは、汚い」と息子。
不用品をぽいぽいとゴミ袋に放り込んだりしつつ、お風呂掃除に精を出す。
(あとで、ゴミ袋から何個か回収)
一人でスーパーに買い物に出かけ、食材を買い、夜は、お手製の海鮮ギョーザを作ってくれた。
長女一家も来て、手作りギョーザに娘婿も参戦。彼は、肉ギョーザ。
喜々と夫は、取って置きのシャンパンを開ける。


久しぶりに次女も家に居て、初日は、元メンバーだけでの全員集合、救世軍卜維廉中學懐かしい顔ぶれで一家団欒。
今も、わたしの子供たちであることには違いないが、それぞれが自立し、元メンバーという思い。
孫が水疱瘡で保育所に登園できないため、自宅でしばらく病児保育を余儀なくされる疲れも、吹き飛ぶ。

これって、ひょっとして、幸せの縮図?なんて、思ったりした。

家族は、日ごろは離れ離れでもいい。
なにかの折に、皆が集まって、話題は、各自、Maggie Beauty好唔好好き放題、言っているだけで、応酬なんかなくてもいい。
会話の結論や、落としどころなんか、なくてもいい。

二日目には、家族の元のメンバーに、二人も新顔が加わり、
今まで自分の歩いてきた道に、オマケがついたような気がした。
しかも黄金の宝物のようなオマケ。
なんだか、ほんわり、しみじみ、
不思議な、まったり感を味わった。

そのうち、また、数人増えていくことだろう。
そして、やがて、減っていくことだろう。
その、ゆるやかな繰り返し。
ゆるやかな時間の流れ。んじである。  


Posted by キも at 17:18Comments(0)

2014年11月11日

日本語万歳

 始まって早々、 唐突ですが 番外編です。

 人間が ものを考える時、 挪威郵輪母国語は大事です。
 画家が、 色や形で考える。
 音楽家が、 音で考える。
 そういうことが あるとは思いますが、
 一般に、 物を考える時は 言葉によることが多いと思います。

 少し前に、 たまたま
 「所さんの学校では教えてくれないそこんトコロ」 というTV番組を見ました。
 なぜ日本人は 英語が苦手なのか、 ということをやってました。
 以前、 このブログでも書いたように、 豐胸明治の先人が翻訳語を編み出してくれたました。
 番組でも言ってましたが、 「自由」は 福沢諭吉先生が作ったらしいです。
 諭吉先生がいなければ、
 自由が丘は フリーダムヒルになっていたかも、 なんてジョークを言ってました。


 ノーベル賞授賞式のスピーチで、
 益川教授は 「I cannot speak English」と言いましたが、
 そんなことが言えるのは、 日本人だけなんだとか。
 そもそも 最先端の科学や技術の用語は、


英語を中心にした西洋の言葉で出来ていて、
 英語ができなければ、 資料を読むこともできず、 研究成果を記録することもできない
 ということらしいです。
 日本では 翻訳語のおかげで、 西洋の文化も文明も技術も 日本語で読み書きできます。
 不自由はしないのです。
 英語が無くても 最先端をやって行ける 珍しい国ということです。

 番組の最後に 「これからは、英語を勉強しなきゃね」 と言った日本人に対して、
 外国人のコメンテーターが、
「英語は、 IとYou.  立場をはっきりさせて、 対立を生む言語なんです。
 日本語は、 みんなで仲良くなれる言語です。
 英語を勉強するのはいいけれど、
 日本語を、 もっと世界に広めたら、 世界は平和になれる」
 という趣旨のことを言ってました。  


Posted by キも at 13:05Comments(0)